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東京・埼玉幼女誘拐殺人事件 宮崎勤被告死刑執行

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June 17, 2008

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(とうきょう・さいたま れんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)とは、1988年から1989年にかけて、東京都から埼玉県西部にかけて発生した、幼女を対象とした一連の事件。

警察庁公式名称は「警察庁広域重要指定117号事件」。「現代用語の基礎知識」には「連続幼女誘拐殺人事件」の名で掲載された。犯人の名前から「宮﨑事件」や「宮﨑勤事件」、またイニシャルをとって「M君事件」もしくは「M事件」とも呼ばれる。
この事件は、3歳から7歳という低い年齢の女児が被害者となったり、挑戦状を新聞社に送り付ける・野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけるなどの、極めて異常な行動を犯人がとったことから、欧米を中心に多発する児童への性的暴行を目的とした誘拐・殺害事件等との比較も行われ、戦後日本犯罪史上にて初めてプロファイリングの導入が検討された。

また、このような特異性が強い事件であったため、事件発生当初から激しい報道合戦が繰り広げられた。後に犯人の父親が自殺したため、報道のあり様が疑問視された事件でもあった。
1997年4月14日に東京地方裁判所で死刑判決が下る。判決の朗読では冒頭で主文の死刑判決を言い渡された(通常、死刑判決では判決理由を朗読した上で主文を後回しにする)。控訴をするも、2001年6月28日に東京高等裁判所でも控訴棄却され、一審判決の死刑を支持。弁護側は、宮﨑が東京拘置所で幻聴を訴え、継続的に投薬を受けていることなどを挙げ、高裁に差し戻して再鑑定するよう求め上告したが、2006年1月17日に最高裁第3小法廷は、弁護側の上告を棄却、死刑が確定した。

死刑確定後、宮﨑死刑囚は絞首刑に対する恐怖を手紙で訴えており、アメリカで行われる様な薬物刑を希望している。そのため、遺族に対する反省や謝罪等が出てくる可能性もあるといわれている。最高裁判決が大きく報道されたことについては「やっぱり私は人気者だ」と著書で述べた。

2008年6月17日、東京拘置所に於いて当人の死刑が執行された。

宮崎勤精神鑑定書
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件犯人 宮崎勤- 宮﨑勤(みやざきつとむ、1962年8月21日 - 2008年6月17日)は東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(広域指定第117号事件)の犯人として逮捕、起訴され、死刑判決が確定し、執行された人物である。
宮崎勤著書 『夢のなか、いまも』
宮崎勤 死刑判決報道